快 適 空 間 。
ス ィ ッ チ す る た め の
施
設案内/ Facility
名古屋駅から徒歩20分。
今も下町の雰囲気が残る円頓寺商店街。
名古屋市の登録地域建造物資産である、
旧サカエ堂をリノベーションし、
ボルダリ
ングハウスノットは、
2018年3月22日にオープン。
旧サカエ堂は、那古野ハウスとして、
ボルダリングジム・ゲストハウス
ティラウンジの
複合施設に生まれ変わりました。
・コミニュ
理
念
/ Concept
結び目・縁・きずなという意味があります。
-KNOT- には、
訪れたみなさまのご縁を大切にし、
商店街の多様なコンテンツの結び目となり、
-KNOT- が、みなさまにとっての
サードプレイスとなれますように。
ビ
/ Vision
ジョン
ボルダリングハウスノットが社会に貢献したいこと
クライミングのライフスポーツ化
クライミングへの興味はあるけれど、
何となく「難しそう」「腕力が無いか
ら」と
始めるチャンスを逃す方が多くいます。
「こんなに楽しいクライミングを
やらないなんてもったいない!」
私たちは心からそう思っています。
クライミングはだれでも、
いくつからでも気軽に挑戦できて、
個人でも仲間
でも楽しめるのが魅力です。
クライミングが生涯にわたって楽しめる
アクティビティーであることを
発信
し続けていきます。
健康的でハッピーなライフスタイルの構築
「仕事でミスした・・」
人生楽しいことばかりじゃありません。
「嫁とケンカ
した・・」
とか気持ちが落ちることは日々訪れます。
どんな困難の中にあっても
「登れた!!」
という達成感があれば、
すこしずつ
乗り越えていけそうな気がするものです。
KNOTはクライミングを通して利用者さまの
サポート
していきます。
肉体的、精神的な健康を
バ
/ Value
リュー
ボルダリングハウスノットの魅力と存在意義
がんばる大人の憩いの場
ストレスフルな社会において、気心知れた仲間と過ごすクライミングのひと時は最高です。自宅、職場に次ぐサードプレイスとして、ありのままのあなたが真剣に遊べるコミュニティーを目指します。
プロセッターによる課題提供
ダイナミックな課題がブームとなっている昨今において、KNOTの課題は異質かもしれません。運動神経に左右される大きな動きではなく、テクニックを用いてケが無く楽しく登れる課題をセッターと協力して提供していきます。
リラックスできるレストエリア
全力でクライミングを楽しむにはレストは必要不可欠。オンオフのメリハリがつくよう、KNOTはレストスペースを広く確保していま す。オープンテラス、階段下ベンチ、2階デッキチェアなど、登らない時間も快適にお楽しみください。
クライミングとの向き合い方が日本一上手いジム
KNOTが考える上手さとは、ケガ無くクライミングを楽しむこと。 人体構造を基に関節や筋肉の可動域を意識しながら手数の多い課題で「登る」楽しさを提供します。
セット毎に新作ホールドを導入
クライマーにとって新しいホールドは常に触ってみたいものです。厳しい経済状況の中であってもセット毎に新作ホールドを導入することで、ホールディングやムーブで新しい楽しみを提供し続けることをお約束します。
商店街活性化のロールモデル
歴史ある大好きな円頓寺商店街のさらなる発展にクライミングの魅力で貢献していきたいです。クライミングが地域の活性化に役立てば、日本中でもっとクライミングが親しまれるはず。KNOTはその夢の実現に挑戦します。
設
/ Facility
備案内
/ Other Facility
その他設備
Free Wi-Fi
鍵付きロッカー
シャワールーム
ドリンク販売
ス
/ Staff
タッフ
須澤 篤
Atsushi suzawa
オーナー
日本スポーツ協会 公認スポーツ指導者
スポーツクライミングコーチ1
日本山岳・スポーツクライミング協会 C級審判員
愛知県少年女子監督
2019年国民体育大会 スポーツクライミング
愛知県少年女子監督
2021年国民体育大会 スポーツクライミング
愛知県少年女子監督
2022年国民体育大会 スポーツクライミング
愛知県山岳・スポーツクライミング連盟 理事
須澤 智子
Tomoko suzawa
店長
日本スポーツ協会 公認スポーツ指導者
スポーツクライミングコーチ1
日本山岳・スポーツクライミング協会 C級審判員
愛知県成年女子監督
2018年国民体育大会 スポーツクライミング
周
/ Area guide
辺案内
名古屋駅と名古屋城のほぼ中間に位置し、明治中期から形成された、市内で最古の商店街。夏には昭和31年から続く「七夕まつり」。平成25年からは「秋のパリ祭」が開催され、新旧の魅力が詰まった商店街です。
名古屋市西区の堀川に架かる五条橋は、かつて清洲城下の五条川に架けられていた橋を、慶長15年に始まった清洲越しの際に、この地に移築したものです。そのため五条橋の擬宝珠(ぎぼし)には、堀川が開削された慶長15年より古い慶長7年の銘が確認できます。
堀川は、慶長15 年(1610 年)名古屋城の築城と時を同じくして福島正則により開削されたと伝えられています。当時は、名古屋城西の巾下と熱田宮の渡しを結ぶ延長約6キロの川でした。その後、上流部(黒川)の開削や下流部での新田開発などが進み、名古屋を南北に貫流する現在の堀川になりました。
元禄13年(1700年)の大火の際、防火の目的と旧大船町商人の商業活動として、道路幅を四間(約7メートル)に広げたので、その名前がついたといわれています。その後太平洋戦争の際にも比較的空襲の被害が少なく、破壊を免れたため、多くの古い町家や土蔵などの街並みが残りました。昭和61年(1986年)には、街並み保存地区に指定されました。
四間道界隈の古い民家の屋根瓦の上には、屋根神様が見られます。疫病や火災などの恐怖から身を守るために、庶民が祈りを込めて建造しました。
150年ほど前の安政の頃、井戸を掘っていたところ、地中から約30センチのお地蔵さまが出てきました。お地蔵さまには「宝永七年」という刻銘があり、それよりさらに150年も前に作られたものでした。洪水の際に流れて埋もれたと推測されていて、偶然に井戸を掘った場所から出てきたのは、お地蔵さまの掘り出して祀ってほしいという意志がそうさせたのだと信じられており、1895(明治28)年には御堂も建てられ、今も大切に保存されています。